「やりたいことをやる」発表会

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子どもがやりたいことをやれるようにする!

このシンプルな考えかたを保育園という子どもたちの集団の中で実践していくことは実は難しい。クラス運営といった視点で職員のマネージメント的に効率、能率を第一に保育を考えれば、年齢や発達に即した計画を立てればなんとなく大人から見た「納得解」は得やすい。しかし、それが一人一人の子どもたちの学びや育ちに繋がっているのだろうかと改めて考えると そこには「教え」はあっても「学び」がないのではないかと思い悩んでしまうのが保育の難しいところだ。くらき永田保育園ではここ数年、予定調和的な計画性のある保育から、何が起きるかわからないけれど子どもと一緒に悩み、一緒に学ぶという保育を進めている。日々の生活だけでなく、行事においても・・・昨日行われた発表会も「子どもが計画段階から参画し、子どもがやりたいことをやる」発表会だった。

 

自分たちが廃材で作ったドレスを纏ってのファッションショー、忍者や武士になり切り、作った刀で演じる殺陣(たて)、自分達の芋ほり体験を物語にした劇ごっこ、舞台裏も見せるペープサート、魔女とのやり取りから興味を持ったたくさんのマジックショー、そして台本はあるのだが毎回違った動きになる「オオカミと七ひきのこやぎ」ごっこ。

 

 

そこには、「みんな一緒」ではないけれど「一人一人違った」「人の力を借りながら」「人に力を貸しながら」という新しい関係性の中での『学びと育ち』が確実に生まれてきているように感じている。それは、子どもだけでなく大人にも。これまでの保育や教育も悪くはないが、そこで交わされる議論は「教える側」の思考で考えられていたように思います。

どのように伝えたらよいのか? どのような体験が子どもにとって必要なのか?

その議論を子どもも一緒に、そして、何よりも「何をやりたいのか」を子ども自身が自分に問う時間を保障していく大切さを強く感じています。

 

そういった大人が決めた到達目標を実践から離れた考え方の中で育った子どもたちはきっと、「自分で問いを立て、自分なりの答えを見出せる人」になっていくのではないかと思うのです。昨日、マジックショーの中でバケツに入れた水をこぼさずにグルグル回すという演目がありました。バケツ一杯に注がれた水をグルグルとまわし大きな拍手をもらっていたパフォーマンスの最後にバケツの中から舞台にこぼれ落ちる場面がありました。その瞬間、舞台の袖から出てきたのは雑巾を手にした年長児。「やらされる」「教えられる」だけでは絶対に育たない力が僕には見えたような気がしました。予定調和でない保育の面白さはこんなところにもあるのです。

 

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