黄色い花と虫と八朗

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この時期、街を歩いていると目に飛び込んでくるのは、ロウバイやミモザといった黄色い花。周りは枝だけになった木々の中で、ふと黄色い花に出会うとそれだけでハッピーな気分。「まだ春とは言い切れない季節」に咲くこの花は、満開の桜とは違うけれど確実の僕らの視線を持っていかれる。

冬を超えてようやく動き出した「虫」の立場になってみると、まだ寒いし、食料も少ないし、飛ぶのだってエネルギーが必要・・・そんな時に遠くに黄色い花が見えたとしたら、「あっ、花粉だ!蜜だ!」って飛びつきたくなるのでしょうね。初春に咲く黄色い花の生存戦略は、虫にとっても生きるための道しるべのような存在なのかもしれない。

では、僕らにとっては黄色い花はどんな存在になるのか???冬の終わりに黄色を見ると何故かホッとする。太陽をイメージしちゃうのですかね?寒さの中に光を思い出させてくれるというか、終わりではなく始まりを感じさせてくれる色なのかもしれない。

虫にとって黄色は「生きるための情報」だし、人間にとって黄色は「生きていけそう!という感覚」。意味は違うのに向かっていく方向は同じなところが面白い。どちらも、「まだ厳しい世界の中で、次へ進むための合図」として黄色を見ているようだ。

これって人間関係に応用できないだろうか?まだ緊張している空間とか、まだ言葉がでない関係とか、距離がある場面にいきなり強い主張するのではなく、笑顔とか、距離感とか、暖かさみたいな「初春の黄色」の役割を出来ないだろうか?

もしかすると、生き物はみんな知っているのかもしれない・・・厳しい季節の終わりに最初に必要なのは強さとか派手さではなく「ここにいていいよ」と伝わる色だということを! 春を「作る」のは、満開の桜かもしれない。でも、春を「始める」のは、黄色の花。これは社会でも同じだと思う。大きな変化や成果の前には、必ず小さな関係とか、小さな安心とか、小さなサインが現れる。その境界にいる存在は、主張しすぎると排除されるし、隠れすぎると出会えない。だから、「強すぎず、弱すぎず」という絶妙な存在でなければならない。少し先に笑うとか、少し先に声をかけるとか、少し先に「大丈夫」と声を掛けられる黄色い花のようになりたい。(赤が好きな園長ですが・・・)

 

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