受容的交流の源流

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まだ、社会福祉士、介護福祉士といった資格制度がなかった僕らの大学時代は、福祉の勉強をしていても今一つ「専門性」なるものを実感出来ず、「バイスティックの7原則」も理屈としてはわかるんだけれど、実際の場面でどのように活用できるのか正直なところ全くわからないでモヤモヤしていた。そんな時に今は亡き社会事業大学の石井哲夫先生の「受容的交流療法」という言葉に出会った時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。

子どもの表層に現れる問題となる行動や態度の奥にある心の動きを受け入れ、理解、共感することから始め、人間的なふれあいや交流を展開するスタイルは学生の僕にもイメージしやすく、今でも僕の基本的な対人援助の基本になっている。

また、行動や思考に名前が付くと理解が深まるというこの体験が僕の人生に相当の影響を与えてくれたことが今だからわかる。

今日、その石井先生の息子でもある石井啓さんが千葉の自宅にホームシアターがあるから遊びに来なよと声をかけてもらい約30年ぶりに再会。

啓さんは年齢は僕のひとつ上、社会事業学校での同期生で、現在は社会福祉法人 嬉泉の理事長でもある偉い人であるが、久々に会っても学生時代と同じように「遊びゴコロとオタク性」をかけ持ったところは全く変わっておらず一安心。

早速、こだわりのシアタールームを案内してもらう。考えてみたら学生時代も一緒に映画を観に行ってアレコレ語り、そして、国家試験の勉強よりも変な映像を作って遊んでいたことを思い出す。

昔話や近況を話し合っているとあっという間に2時間経過、そして、お昼をごちそうになった後、どちらからともなく仕事の話になる。お互い残された時間をどのように過ごすのか、そして、今、何をしようとしているのか。

同じ福祉の分野とはいっても全く違う種別で仕事をしてきた二人だが、逆にお互いの年齢や立場の共通項があるからか実に深い話ができた。

考えてみたら、僕が影響を受けた「受容的交流理論」を誰よりも理解し、体現しているのはこの石井啓さんなのだから、当然といえば当然か。休みの日にこんなに楽しく仕事の話ができたのは久しぶりかもしれない。今度はどこかで一緒に仕事をしてみたい。

 

 

 

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