明日から今年度最後のアップデートフォーラムが前橋の清心幼稚園で開催されます。共立女子大の境愛一郎先生、神戸親和大学の森眞理先生等豪華の講師人たちをお招きして、北は北海道、南は沖縄から保育現場の人たちが集まり「保育の身近をデザインする」をテーマに学ぶ二日間となります。

「身近な自然」「身近な大人」「身近な素材」など『身近』というワードは保育の現場ではよく使う言葉です。でも、それって本当に身近なのだろうか? 園庭のシンボルツリーのような一本の柳は毎日見えているし、距離も近い。でも、そこに物語がなければ子どもにとってそれは本当に身近なのだろうか。『身近』を少し整理すると空間的身近とか、関係的身近とか、心理的身近みたいに言えるかもしれない。また、身近って安全基地だよね。予測可能性が高いってことじゃない、また、反復があるよね・・・みたいに言うこともできるが、それだけで終わっちゃ研修として面白くない。
一方で、年長の子が毎日、ごそごそと土をほじくり返しているダンゴムシが住んでいるカナメモチの木の下には今日も子どもたちがしゃがみこんで何かをしている。それは決して「自然観察教材」ではなく、でも、そこには確実に継続があり、参加もある。保育という観点でいえば「身近」とは、距離だけの問題ではない。近いことだけではなく、繰り返し出会い、関わり、意味が積み重なっていけることが一つのポイントといえるかもしれない。
発達心理学では、子どもの成長は繰り返される相互作用の中で起こるとされている。でも、それを難しい言葉で語る前に、僕らは毎日見ているのだ。同じ友だちとの砂場。毎朝のあいさつ。昨日の続きのコマまわし・・・。そこには、安心があり、予測があり、役割がある関係が存在する。それは、ただ「近い」だけでは生まれないし、ましてや一回きりのイベントは、どんなに派手でも身近にはならない。遠足は楽しい。特別活動も大切。でも子どもを育てるのは、“今日もある”という構造なのかもしれない。
身近とは、子どもが参加できる場があり、その参加が継続し、関係が深まっていく状態と捉えるならば、保育的に自分の言葉で語れることも多くなりそうだ。たとえば「昨日できなかったけど、今日はできた」・・・それは距離が縮まったからではなく、関係が積み重なったからです。大人はついつい遠くを見てしまう。次の学年とか、次の目標とか・・・でも子どもは、今、ここを生きている。だから、もし子どもと大人の“身近”がずれたとき、子どもは参加できなくなります。そこにあるのに関われない。とか、触れられるのに意味がない。それは「近いけれど遠い」状態なのだ。

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そう考えると保育とは、身近を設計する仕事なのかもしれない。環境を整えることは、参加の構造をつくること。そして、関係を紡ぐことは、継続の構造を守ること・・・そのことが研修テーマの「身近をデザインする」ってことなのか?
身近とは、距離ではなく、継続する関係と参加の構造だとすると、遠くへ行くために、まず近くを深くする。未来を育てるために、今日を厚くする。足元を丁寧に耕すことが、世界を広げることにつながっている。そんな当たり前を、改めて信じてみながら研修に臨みたいと思います。
