経歴
- 久良岐母子福祉会 常務理事
- くらき永田保育園園長
- 出身校: 東洋大学、日本社会事業大学
- プロフィール
- 1964年東京オリンピックの年に横浜で生まれる。両親が福祉施設で住み込みで働いていた関係で入所者と同じ環境で幼少期を過ごす。大学では社会福祉を専攻し、卒業後は都内の中規模の病院でメディカルソーシャルワーカーとして採用されるも病院長の意に添わぬ言動がもとで3か月でクビとなる。
- タイやネパールのアシア諸国を放浪した後、再度社会福社を学ぶために社会事業大学へ入学し、社会福祉士の資格も取得。昭和63年(福)久良岐母子福祉会に入会、母子寮(現母子生活支援施設)の少年指導員として勤務。
- 一方、現理事長の夫(長井良信)より「伝統がある法人でも所詮は中小企業、トップに立つなら会計も労務もすべて覚えなければ仕事などできない」と経営に関する雑務全般を業務として任される。
- また、当時母子寮ではDV、精神疾患、在留許可のない外国人母子といった入所者が多かったため関係機関や異業種の人たちと連携し問題解決するという手法を覚える。さらに、母子の生活向上や老朽化した施設の改修のためにあらゆる補助金を活用し結果を出すことに精力を注いだこともあり、30歳の若さで久岐母子寮の施設長となる。
- 平成13年に横浜市の待機児童解消策として市有地貸与の案件を受諾し、母子寮長兼新園開設の準備室長となる。地域の反対運動もあり開園が遅れたが平成14年4月よりくらき永田保育園園長となる。
- 当時では珍しかった異年齢保育や乳児の担当制などを推し進め、「見守り12か条」「ケアワーク担当制」など、子どものサインを受け止め保育するというスタイルが出来上がる。
- 一方、食育コンテストで厚生労働大臣賞を受賞したり、園庭の自然環境を整えピオトープコンクールに入選するなど保育現場の実践を積極的に発信することで保育雑誌などにも取り上げられることも多くなる。若書として「40のサインでわかる子どもの発達」が20回を超える重版となってからは4冊の保育関係書箱を出版、並行して全国からの講演依頼が来るようになる。
趣味
様々な分野の友人が多い八朗園長ですがその繋がりは趣味の多さやあらゆることに挑戦する性格が関係しているかもしれません。
・アウトドア(TKB代表※焚き火代表)
・バードウォッチング
・スポーツ観戦