コロナ禍で迎える3回目の運動会のテーマは「子どもの参画」
企画段階から子どもたちと話し合いを続け、意見を吸い上げたこともありアイデア提供だけでなく、司会進行、準備、大道具、撮影(段ボール箱で作ったものですが)、会場の装飾、衣装、警備、片付け等々、すべての行程にかかわってもらった運動会でした。
それは、従前の運動会で保護者に披露する「競技」「遊戯」と同じように見える場面もありますが、やはり全く違った運動会になりました。
運動会終了後に行った反省会の時にも職員たちに話しましたが、「何ができる」を見せる運動会から「何をやりたい」を表現する運動会への変化を僕らに与えてくれた運動会だったと思います。
子どもたちの主体性といった言葉を保育の中心に掲げてから数年たちますが、その「主体性とは何ぞや」また「主体性を保障するとは・・・」を今も悩み続けています。
今回の運動会を迎えるまでも職員間で何度も何度も話し合いました。
そしてとでモノやヒトとの関係性の中から湧き上がってくる「͡コト」の中に主体性の大きなヒントがあるのではないかと感じています。
運動会が終了したあと園庭を来週からの遊び環境に戻していたときのことです。
複数の子どもたちが勝手に会場に張られていたロープを片付けたり、遊びで使うビールケースを運んでいる姿がありました。
いろいろ子どもたちの成長を見せてもらった一日でしたが、このシーンはまさしく、子どもたちが運動会を運営している当事者になっていると感じた場面でした。
確実に目に見えない、しかし、大切な何かが育っていると確信した気がしました。
保育園には運動会、発表会、小さな表現者展といった行事がありますが、それを「行事」や「イベント」という保護者に見せるための特別な日にせず、「ただの遊びの延長としての一日」にどんどん進化してもらいたいなと思います。
そんな日々の中で見せてくれるその子だけの特別な育ちを見てもらい、一緒に成長を喜び合いたいと思うのです。