僕らは子どもの何を「見る」のか?

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福島のいわき市私立幼稚園協会さんのキャリアアップ対象研修の講演で東日本国際大学へ。このエリアは勉強熱心な神谷こども園の佐藤先生など学びに熱い人たちが多い。JRひたちが少々遅れたこともあり、バタバタと会場入りすると、そこには宮前おひさまこども園の亀ヶ谷元譲先生が!!神奈川ではなかなかお会いできないのに地方では2回目のバッタリだ。相変わらず爽やかでスマートで羨ましい。

今日は「子どもの主体性と保育環境」というお題を与えられたのだが、リクエストもあり、はじめの100ヶ月育ちのビジョンで示されている「安心と挑戦の循環」とか「保護者・養育者のウエルビーングと成長の支援・応援」と自分たちの実践を紐づけることを裏テーマとして話を進めてみた。

環境を作る上ではUI/UXといったデザインの話などもするのだが、最近は「子どもを見る」ということをしっかり伝えたくなっている自分がいる。子どもの姿とかこども理解とかいろいろな言い方をするけれど、子どもを見るのは難しい。クラス担任の先生が補助で保育に入ったくれた保育士さんに「こどもを見ていてください」という言葉をかけたとしたら、いったい何をすればよいのだろうと迷うのも「見る」が難しい証拠だ。監視するでもない、安全に見守るだけでもなく、環境を作るために「見る」とはどのような行為なのだろうか?

結論から言うとモノやヒトへの興味関心やかかわりを捉えるということだ。まだ、能動的な行動になっていない目に見えないような想いも含めて「見る」をしなければならない。自由という言葉だって「したい」ことがまずあって、そのうえで「できる」ことが保障されなければ自由なんて存在しないように「やりたい」という想いを「見る」姿勢を持つことは保育者の一丁目一番地の仕事だなと強く思う。

今、次年度の事業計画を立てる上での核となるものをこの一ヶ月くらいずっと考えている。フロイトが「愛すること」の大切さを説き(愛されるじゃないのがミソ)、武藤先生が「愛と知の循環」という理論で語る「愛する」とか「好き」って実はすごく大切だなって、当たり前のことだが今日も講義をしながら自覚した。そう、子どもが何に愛を持とうとしているのか、そして、どんどん好きが広がり深まるのかを見て、環境を作っていかないといけないんだよね。

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