最初は、ほんの小さな「発見」でした。
土の中から出てきた、黄色い物体。「むし?」「ようちゅう?」——2歳児たちの視線が、一斉にそこへ集まります。手で触れてみる、棒でつついてみる、顔を近づけてのぞき込む。シャベルを片手に土を掘り起こしても出てくるのは、幼虫どころか、どこまでも続く「長い木」のようなもの(実は木の根っこです)。
ここから、遊びの質が変わっていきます。「なんだこれ」「ながい」「まだある」
言葉は短くても、子どもたちの世界は一気に広がっていきます。一本の根っこが、土の中でどこまで続いているのか。力を入れて引っ張ると、土が動く。動いたと思ったら、また止まる。そのたびに、別の場所を掘りはじめる子が現れ、気づけば列になり、自然と役割が生まれていました。
2歳児は、誰かに「協力しよう」と教えられて一致団結するわけではありません。
「抜きたい」「知りたい」「やってみたい」という一人ひとりの衝動が、同じ対象に向いたとき、結果として“協同”が立ち上がるのです。前に立つ子は必死に引っ張り、後ろの子はその背中を支える。うまくいかないと、場所を変え、姿勢を変え、また試す。その一つひとつが、試行錯誤そのものです。案の定すぐに根っこは抜けません。
力を入れると動くけれど、途中で止まる。思ったようにはいかない。そのたびに子どもたちは、場所を変えたり、姿勢を変えたり、もう一度やり方を試してみたりします。うまくいかない経験も含めて、「やってみる」「確かめる」という時間が、じっくりと流れていました。
大人の目で見れば、ただの「木の根っこ」。
でも子どもたちにとっては、未知で、不思議で、手応えのある「世界の一部」。掘ることで世界が変わり、引っ張ることで世界が応答する。土の重さ、根のしなり、手に伝わる抵抗感——そのすべてが、身体を通して「世界は簡単には思い通りにならない」という感覚を刻み込んでいるようです。
また、この時間にはゴールがないのが面白い。
抜けたか、抜けなかったかが大事なのではない。時間をかけて関わり続けたこと、友だちと同じものを見つめ、同じ困難に向かったこと、その経験自体が、2歳児にとっての「学び」なのだと思います。
2歳児の遊びは、小さくて、静かで、見逃されがちですが、保育士が子どもが見つけた根っこに対し、興味を持って「面白がったこと」がこの事例のポイントだった気がします。結果、そこには世界を理解しようとする力、人とつながろうとする力、自分の身体を信じて試し続ける力が芽を時間でした。
