1月24日の『保育園と繋がるマルシェ』で「農家ファーストのレシピ」という話をしましたが、単に“もったいないから野菜を使う取り組み”だけではありません。そこにあるのは、誰が食を支えているのかをもう一度見つめ直すという、小さくて大きな挑戦です。畑には、味は抜群なのに形が少し曲がっていたり、大きすぎたり小さすぎたりするだけで、流通に乗らない野菜がたくさんあります。でもそれは、本当に「価値がない」のだろうか。もっと根っこの、僕らがどう生きるかという話として考えてみたい。

畑に行くとよく分かるのだが。野菜は、カタログの中にあるような「正しい形」にはならない。雨が多ければ水を多く含み、風が強ければ少し曲がり、寒さが来れば甘みを蓄える。そこには、自然と人間が一緒に生きている痕跡があります。同じ日に植えたはずなのに、成長の速さが違う。天気や土や、目に見えないいくつもの条件が、ほんの少しずつ結果を変えていく。子どもや人の生活も、たぶんそれに似ている。完璧に揃うことはほとんどないし、予定通りに進むことも少ない。でも、だからこそ、その人だけの形になる。
三浦の小川農園さんから届いた野菜たちは、どれも少しずつ個性的でした。大きすぎる大根、少し色の違う葉物、形の揃わない野菜たち。でも、ひと口食べると分かる。「あ、ちゃんと生きてきた味がする」と・・・
流通の世界では、どうしても「揃っていること」「効率がいいこと」が価値になりやすい。でも、保育だってそう、子どもを“規格”に合わせて育てようとはしていない。むしろ、その子らしさ、その子の凸凹、その子だけのリズムを大切にしようとしています。

だから農家さんの畑にある凸凹野菜を見ると、どこか子どもたちの姿と重なることがある。少し不器用だったり、ちょっと時間がかかったり、でも、その分だけ深い味を持っている存在って感じ。
明日のイベントでは、その凸凹野菜を使ったみそ汁をふるまいます。みそ汁は不思議な料理です。どんな具材でも受け止め、全部を一つの味にしてくれる。まるで地域そのもののようです。農家さんがいて、作る人がいて、食べる人がいて、子どもたちがいて。その全部が溶け合って、一つの温かい料理になる。
いつも言っていますが保育園は、子どもを預かる場所である前に、地域の「関係性を醸す場所」なのだと思います。誰かが作ったものを、誰かが受け取り、誰かと一緒に味わう。その中で、「自分はこの地域の一員なんだ」と、静かに感じられる場所になればいいなと思います。

