今日の職員会議で令和8年度の事業計画(案)の話を職員に伝えました。全貌はまだ内緒ですが、そのキーワードとして職員にわかってもらいたいのは「エコトーン」という言葉と保育の関係です。人間、仲間、空間、瞬間、時間、合間等など日本人は「あいだ」が大好きだ。この「あいだ」を好きを起点に豊かにしていくのが来年度の目標。
昨日の「インドラの網」の続きのようだが、例えば山寺で大きな鐘が鳴るとき、その音は「ドーン」と一度響くだけでは終わらない。低く深い余韻が、山の空気に溶けながら広がっていく。そして、その余韻の時間こそ、鐘の本当の響きなのかもしれない。これって保育でもあると思いませんか?
僕らはは日々、子どもたちと向き合いながら、「できた」「できない」、「遊び」「生活」、「園」「家庭」と、さまざまな言葉で世界を区切りながら仕事をしています。もちろん、それは必要なこと。区切ることで見えることもあるし、整えることで安心が生まれることもあります。論理的に考えるためには大事なことはわかるのだが、一方、子どもの姿をよく見ていると、本当に大事なことは、いつもその境界の「あいだ」で起きているように思うのだ。
まだできないけれど、もう少しでできそうな瞬間。遊びの中から、いつのまにか生活が始まる時間。大人と子どもが同じ目線で笑い合うひととき・・・そうした時間は、きれいに名前をつけることが実は難しい。でも、その「あいだ」こそが、子どもの育ちが芽生える場所(遊び性が発揮すると言っています)
僕が大好きな精神科医の木村敏さんは、人間は「個人」として存在するのではなく、人と人の「あいだ」で存在すると言いました。また、また作家の 高橋源一郎さんは、世界が一番面白くなるのは、きれいに区切られた場所ではなく、境界がゆるやかに混ざり合うところだと語っています。さらに環境思想家の 辻信一さんは、現代社会は効率や正解を求めすぎるあまり、人と人の「あいだ」や、ゆっくりした時間を失いつつあると指摘しています。

自然の世界でも同じ。森と草原、川と陸の境界には、さまざまな生き物が集まります。生態学では、こうした場所を「エコトーン」と呼びます。異なる環境が出会う境界は、実は一番豊かな場所なのだ。そして、なかなか理解してもらえないのだが、保育園という存在も、どこかそのエコトーンに似ています。例えば家庭でもなく、学校でもない。でも、その両方につながっている場所。また、子どもと大人が出会い、遊びと生活が溶け合い、地域と園がゆるやかにつながる場所。そんな「あいだ」の場所として、保育園は存在しているのだと思います。
僕らの仕事は、すべてを整えてしまうことではありません。むしろ、子どもが迷ったり、試したりできる「余白」を残すこと。そして、その揺らぎに寄り添いながら、意味を見つけていくことが大事。そう、保育の豊かさは、どれだけ整っているかではなく、どれだけ「あいだ」が息づいているかで決まるなのだ。
縁側のように、中でも外でもない場所。見方を変えて探してみたら保育園にもいっぱいあるかもしれない。もしかしたら、それは特別な場所ではなく、廊下のすみや、テラスの端、園庭の片隅にあるのかもしれません。来年度は、その「あいだ」に耳をすませながら思考のリブート(再起動)を行っていきます。

