横浜トリエンナーレに行ってきました

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リニューアルされた横浜美術館で開催されている横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きている」を観てきました。

予備知識もないまま時間が空いたのでフラッと立ち寄ったのですが、まあ、期待以上に刺激的だった。テーマが野草というので横浜で開かれる花博につなげるための前振りかと思いきやそんな予想は大きく外れ、実際は魯迅の「野草」の世界観を共通のテーマにした展示プログラムなのだ。

魯迅の「野草」は石川町の古本屋で買った本で、1920年代に書かれた短文24編が入った散文集。

魯迅がその当時、祖国が甘んじていた状況への怒りや苛立ち、提言だけでなく孤独や虚無に負けそうになる自分への叱咤なども書かれている名著だが、きっとこの本の中に通底している希望も野心もなく暗い世界を受け入れ、そこから出口を探すことに専念している魯迅のスタンス自体がテーマになっているのだろう、きっと。

 美術館に入ってすぐのエリアは「いま、ここで生きてる(Our Lives)」という章。

その説明には「自然に囲まれたキャンプ場のようにも、また人々が身を寄せ合う難民キャンプのようにも見えます」とあり、たしかにブリコラージュに作られた還付場にも見えなくもない。しかし、会場全体に響いている「ウ~~!ウ~~!」「ズズズズズズ!」などの不穏な音。これはウクライナのアーティストのグループ、オープングループによる映像が流れていて、一気に「野草ワールド」に連れていかれる感じだ。

8か所くらいのエリアが「アートもりもり」状態になっているのですべての感想などとても書くことができないのだが、僕が一番印象的だったのがアートクラフツの食猟師 小野寺望さんのインタビューと写真のエリアだった。

 志賀 : いつも小野寺さん「共存ではなく、共生が大事」って言います、簡単なようでいて、私自身なかなかその意味を掴みきれないでいます。

小野寺 : いや、極端な話、私たち人間が力を持ちすぎたってことだけ。 もっと、広く、人間の力が及ばない領域が増えていけばいいし、人間が食われる立場に戻ればいいっていう話

 これだけ読むと「えっ!」って思うかもしれませんが、「有害駆除」の名のもとで食べられることのない鹿の命を奪う自分の感覚が麻痺しそうになることへの怒りのようなものが作品の中から浮かび上がってくる。

そう、僕らの暮らしは災害や戦争、気候変動や経済格差等など、かなり“生きづらさ”を実は抱えている。そこにちゃんと目を向け、動き続ける過程を表現したのが、今回のトリエンナーレなのかなぁ。

流れと岩というエリアにこんなことが書いてあった。

小川とは生命の絶え間ない活力であり湧き上がる潜在的なエネルギーのようなもの。一方、岩戸は困難、停滞であり頑固に立ちはだかる問題のようなもの。流れは岩にぶつかることで行く手を阻まれ、同時にそこでエネルギーを生み出します。

危機と回復はいつもとなり合せ・・・ホントその通り。

「野草」は荒地でも⽬⽴たず、孤独で、頼るものが何もなくても、そして、もろくて無防備な存在でもあるけれど、見方を変えれば一人でも戦う強さのようなものも感じる存在だよなぁなんて感じながらぶらぶらと帰路についたのでした。。

 

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