子どものころ、何度も読み返した漫画『タイガーマスク』と『あしたのジョー』どちらも決して明るい舞台ではなかった。孤児院、ドヤ街、社会の周縁・・・そして、ヒーローや主人公と呼ばれる彼らは、はじめから光の中に立っていたわけではなく、むしろ、影の中から始まっている。

『タイガーマスク』の伊達直人が育った孤児院「ちびっこハウス」は、決して安定した場所ではなかった。経営は苦しく、借金を抱え、いつ失われてもおかしくない危機の中という背景だった。あの設定は、子どもだった僕の胸に妙に残っている。ヒーローが守ろうとするのは、名誉でも、勝利でもない。とても理想郷とも言えない孤児院「ちびっこハウス」が“自分が生き延びた場所”という思いだけで守るという感覚。また、ランドセルを届けるという行為だって慈善でもなんでもなく、「自分の原点を守る」という切実な再接続の物語だと思っている。だから、タイガーマスクやあしたのジョーに憧れたのはヒーローが悪を倒す爽快な物語としてではなく、自分の中ではなぜか胸の奥をざわつかせながら戦うという物語だったからだと思う。

福祉の現場に立つ自分はあの構図をリアルに感じてしまう。資金の壁、制度の壁、社会の無理解・・・・でも、困難があるからこそ、人は動く。『あしたのジョー』の矢吹丈。
彼の物語はドヤ街から始まる。反抗的で、乱暴で、決して「良い子」ではない。でも丹下段平は、その奥にある“可能性”を見た。課題ではなく、可能性を見つけたように。
僕も保育や社会的養護の現場で、時に「手がかかる」と言われる子どもに出会う。怒りをぶつける子、試すような目をする子、すぐに心を閉ざす子・・・でも僕もその姿の奥にある火種というか可能性を見失しなわない人でいたい。

伊達直人も、矢吹丈も影を抱えたまま前に進んだ。過去を消すことはできないが過去と関係を結び直すことはできる。ちびっこハウスという場所、丹下段平という他者。関係が、人を変えるのだ。
今日、久良岐母子福祉会で初代タイガーマスク後援会によるランドセル寄贈式が行われました。子どもたちに手渡されたランドセルは単なる鞄ではなく、栗林代表理事も話していたように「あなたの明日を信じている」という社会からのメッセージだ。伊達直人の強さは、生い立ちの“影”と切り離せない。孤児であったこと、裏切られた経験、そして、孤独。それらは劣等の印ではなく、関係を求める力の源になっている。影を知っている人は光の価値を知っていると信じたい。

子どもの頃の僕はヒーローに憧れた。でも今はちびっこハウスを支え続ける大人たちや矢吹丈の可能性を見抜く段平のような「子どもの未来を信じる」人になりたいと強く思う。タイガーマスクも、矢吹丈も、架空の人物だ。でも、「誰かの未来を信じる」という行為は、現実でしかできない。そして、ランドセルを背負うその背中に、物語のはじまりを感じるし、僕はその物語の隣で自分ができることを考え続けたい。

