秦野・権現山頂上にあるバードサンクチュアリ。
木漏れ日が差し込む水場で足を止め、耳を澄ますと、どこからかメジロ、シジュウカラ、エナガ、ヤマガラ、そしてシメなどなどが交互に水を求めてやってくる。違う姿、違う声、違うリズムの鳥たちが、ひとつの群れとして動いている。
これは「混群」と呼ばれる行動だ。
同じ種だけで固まるのではなく、異なる種がゆるやかに集い、互いの得意を持ち寄りながら行動する。警戒が得意な鳥、素早く餌を見つける鳥、空間の上部を使う鳥、地面近くを探る鳥。それぞれが“自分のやり方”で生きているのに、群れとしては不思議な安定感がある。
忙しく動き回る鳥たちは、僕らバードウォッチャーの存在など気にも留めない。
梢から梢へ、地面へ、水場へ。個々は自由で、でも孤立していない。賑やかな声を響かせながら、群れはゆっくりと移動していく。
こういった光景を見ていると、ついつい保育の場が重なってしまう。
保育園にも、実にさまざまな子どもがいる。
慎重な子、突き進む子、よく見てから動く子、思いついたらすぐ試す子。声の大きさも、関わり方も、安心のつくり方も違う。本来それは「違い」であって、「問題」ではないはずなのに、私たちは時に“同じであること”を求めてしまう。
けれど、混群の鳥たちは教えてくれる。
違うからこそ、群れは豊かになる。
違うからこそ、危険に気づける。
違うからこそ、食べ物に出会える。
保育も同じだと思う。
全員が同じペースで、同じ遊び方で、同じ反応をする必要はない。むしろ、一人ひとりが「自分のやり方」で場に関わることが、結果として集団全体の安心や広がりを生み出していく。
大切なのは、誰かを中心に揃えることではなく、
それぞれの違いが“響き合える距離”を保つこと。
混群の鳥たちは、決して密着しすぎないし、離れすぎもしない。
その絶妙な距離感の中で、声を交わし、気配を感じ合いながら進んでいく。
保育者の役割も、そこにあるのかもしれない。
統率することよりも、見守ること。
整えることよりも、関係が生まれ続ける環境を用意すること。
賑やかな混群を眺めていると鳥たちに「よい集団」とは何かを、思い起こさせてもらっている。