小さな表現者展(コッコロジョカーレ)を終えて

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小さな表現者展(コッコロジョカーレ)は、作品を展示する行事ではありません。子どもたちの暮らしの時間を、もう一度、大人が受け取り直すための日だと考えています。

保育の現場にいると、どうしても「出来た・出来ない」「上手・下手」という物差しが、静かに忍び込んできます。それは悪意ではなく、むしろ「成長してほしい」「可能性を伸ばしたい」という願いから生まれるものです。

でも、子どもは、ある日突然「作品」を作るわけではありません。はじめは、ただ絵の具を触ってみただけ・・・手を動かしていたら、粘土のカタチが変わってきた・・・紙をビリビリ破いていたら、へびになった・・・・隣の子の描く様子を、何もせず、じっと見ていた・・・その全部が、「表現の前史」です。

小さな表現者展で私たちが大切にしているのは、完成した形ではなく、その子の心が、いつ、どこで、どんなふうに動いたのかという時間の流れです。

だから、保護者の皆さんに職員が語るのは、作品の説明ではありません。「この子が、この色を選んだ日、実はこんな出来事がありました」「この線を描いた頃、この子は○○に夢中でした」そんな、小さな物語でしかありません。でも、遊びの軌跡を真ん中にして語り合うと、不思議なことが起こります。

保護者は、結果よりも「過程」を愛おしく感じ始めます。保育者は、評価する人ではなく、「人生の証人」になります。そして、子どもは、自分の人生を応援してくれる大人がいることを、言葉ではなく身体で理解していきます。

僕は、保育とは「教える仕事」でも「評価する仕事」でもなく、「翻訳する仕事」だと思っています。子どもの、まだ言葉にならない感情。言葉になる前の、胸の奥の揺れ。それを、大人の世界に届ける翻訳者みたいな役目をするのが保育者。今日、いっぱいお話させてもらったのは子どもたちの代弁者としての仕事ともいえるかもしれません。

また、子どもは、自分の表現が褒められたから自信を持つのではありません。「自分の感じたことを、大人が大切に受け取ってくれた」その経験が、自己効力感の土台になります。作品は、いつかなくなります。紙は破れるし、色は褪せるでしょう。でも、「自分の感じたことを、大人がちゃんと見てくれた」という記憶は残ります。これって凄く大事です。

僕はよく、保育とは「未来の記憶をつくる仕事」だと思うことがあります。小さな表現者展は、作品を見る日ではありません。子どもの人生が、どんなふうに始まっているのかを、大人が静かに学び直す日です。雪がしんしんと降るような今日は保護者と子どもについて学びなおす最高の日となりました。