ケアする人たちの存在感覚を守れるか

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福祉や保育の現場に長くいると、ある種の疲労に出会うことがある。それは単なる忙しさや身体的な疲れとは少し違う疲労のことで、「自分は、ここにいていいのだろうか」「役に立てているのだろうか」「この仕事を続けていていいのだろうか」・・・そんな、言葉にしにくい揺らぎです。

僕はこれを、勝手に「意味疲労」と呼んでいます。ケアに関わる人は、誰かの人生に触れ、誰かの痛みに触れ、誰かの回復を願い続ける。その中で、自分の存在意味とか、役割とか、関係性、使命感等など、こうしたものが、少しずつ揺らぐ瞬間がある。

これまで心理的支援といえば、考え方を整理する支援(CBT認知行動療法)や、感情を言葉にしていく支援(カウンセリング)、が中心で、EMDRといったトラウマ記憶に対する心理治療があり、もちろん、どれもとても大切です。でも、僕が現場で感じるのは、「理解はしている。でも、しんどい」という状態の人が多く、この悩みに何かできることはないだろうかといつも考えていた。頭では整理できている。でも、身体や感情が追いつかない。これって、この業界の根源的な課題だなぁなんてずっと感じていたからだ。CBTは問題を整理できるし、カウンセリングは感情を言語化できる、でも僕らが欲しいのは「存在感覚」ともいうべきわかりにくいもの。

そんなとき、たまたま戸塚の里山で出会ったGIM(音楽イメージ療法)という領域に今、メチャクチャ興味を持っています。全く知らない分野だったが、ここ数日、いろいろ調べていると保育・福祉の職員のケアとの相性がいいのではないかと思い始めてきた。。

GIMは、言葉を使って整理する療法とは少し違う。音楽を聴きながら、イメージや感覚を辿り、言葉になる前の体験に触れていくというアプローチをとるらしい。音楽は不思議・・・感情を抱え、感情を運び、そして感情を変えていきます。言葉で説明できないものを、音が代わりに受け止めてくれることだってあります。

ケアに関わる人ほど、弱音を吐けない人が多い。できる人ほど、「大丈夫です」と言う。そして、優しい人ほど、自分を後回しにします。だからこそ、「語らなくてもいい回復」って手法があるなら・・・と感じたわけだ。GIMは、まさにそこに触れている。僕が特に可能性を感じているのは、さっきも言った「存在感覚の回復」です。評価されなくてもいい。役に立たなくてもいい。成果を出さなくてもいい。ただ「いる」ことが許される感覚。くらき永田保育園でいうビロンギング!

もし、ケアする大人にも、「評価されない回復の場」や「役割を脱いでもいい時間」があったらどうだろう。それは単なるストレスケアではなく、「存在の再チューニング」に近いのではないかと思っています。

ケアする人が回復することは、別にケアの質を上げるためではありません。その人が、その人として、生きていていい。その前提を守ることが、結果として、子どもや、家族や、地域を守ることにつながるのではないかと思っているから。そして、GIMがそういったものに相性がいいのではないかと勝手に妄想しています。今度、ちゃんと聞いてみようと思う。

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