読書会仲間のT君が朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』という長編小説が面白いと推してきた!
内容は「推し」を応援する活動が文化として浸透する中で、人間がどのように熱狂し、消費し、時に人生の軸をそれに委ねてしまうのかが描かれているらしい。いろいろ熱く語られてるうちに保育的に考えるとどうなるだろうと妄想が始まった(全く読んでいないので、本当に妄想です)
保育の現場で僕らは「落ち着いている子どもたちの姿」とか「活動がスムーズに進み、指示が通り、トラブルが少ない」・・・そんな場面に、ほっと胸をなで下ろすことは少なくない。「今日は安心して過ごせているな」と感じる瞬間でもある。
しかし、その「安心」は、本当に子どもたちの内側から生まれたものだろうか。
それとも・・・「考えなくてよい状態」が、うまく保たれているだけではないだろうか。
「考えなくていい場」とは、正解が先に用意され、迷う前に進む道が示されている空間であり、次に何をすればよいかが明確で、逸脱はすぐに修正される空間ともいえる。そこでは不安は最小化されるが、同時に「問い」もまた消えていく。
子どもは周囲を見て、指示を待ち、正しさに近づこうとする。その姿は一見落ち着いており、問題なく見えているだけ・・・・なんてことはないだろうか?
一方で、「安心できる場」というのは、必ずしも静かではない。正解はまだ決まっておらず、迷っても否定されないし、試して、失敗して、立ち止まることが許されている。子どもは不安を感じながらも、壊れずにそこに居続けることができる。ザワザワして見えるその場には、実は豊かな思考と試行錯誤が息づいている。
この二つは似ているようで、決定的に異なる。違いは「不安の扱い方」にある。
考えなくていい場は、保育士の不安を消しますが、安心できる場は、不安を抱えられるようにする。
ところが現場では、この二つがしばしばすり替わってしまう。
「静かに座っている」=「安心している」
「トラブルが少ない」=「良い環境」
「指示が通る」=「関係性ができている」などなど、そう判断してしまう瞬間は、誰にでもある。
だがそれは、本当に安心なのだろうか。
もしかすると、子どもたちは「考えなくてよい位置」にうまく収まっているだけかもしれない。自分で決めなくていい、迷わなくていい、その代わりに問いも預けてしまっている状態かもしれない。
年明けから書いている保育士に求められる専門性は、子どもを素早く落ち着かせる力ではない。むしろ、子どもが不安や迷いを抱えたままでも、その場が崩れないように保つ力である。すぐに答えを渡さず、方向を決めすぎず、子どもの試行錯誤に「居場所」を与え続ける力だ。
そんな感想をT君に伝えたら「ふ~ん」という反応が返ってきた。

