僕らはこれまで、福祉や保育の世界を「ケアする人」と「ケアされる人」という関係で保育や福祉を語ってきた。もちろんそれは大切な視点です。しかし、地域の中で子どもや大人が自然に交わる場に立っていると、少し違う景色が見えてきます。
今日はくらき永田保育園で月に二回開かれる「セナファーム」さんのマルシェ。そこには、野菜を届けてくれる農家さん&スタッフさん、買いに来る保護者、職員、地域の高齢者、そして、遊びに来る卒園した子どもたちがいます。2歳児が野菜を見て喜び、小学生が販売を手伝い、地域の方とゲラゲラと笑っている。そこには「支援する側」「支援される側」という一方向の関係ではなく、その場にいる人それぞれが、その場を成立させているという関係があります。
僕はこれを「当事場性」と呼んでいます。
当事者性ではなく、当事“場”性。つまり、人が当事者になるのは「役割」ではなく、「場」によって生まれるという考え方という感じ。

マルシェに来た2歳児は、何かを提供しようとしているわけ例ではありません。しかし、その存在そのものが場の空気を柔らかくし、大人の表情を変え、会話を生みます。小学生は、売り手でありながら、地域の人から励まされ、承認される存在でもあります。高齢者は、買い物客でありながら、子どもたちの育ちを見守る役割を自然に担っています。
ここでは、誰かが「役に立つ人」になるのではなく、その場にいること自体が価値になる。それが当事場性の本質だと思うのだ。
これからの地域福祉や保育において大切なのは、「支援の質」だけではなく、「関われる場の量」なのかもしれません。役割を与えるのではなく、関われる余白をつくる。そうすると、人は自然に誰かにとっての支えになるという現象。
子どもも、大人も、高齢者も。「支える人」と「支えられる人」を行き来しながら、関係の中で生きていく・・・。
保育園が地域の中で果たせる役割は、まさにここにあるのではないかと思っています。「ぼ~燃会」も「餅つき」も「焼き芋」もすべて 人を育てる場所であると同時に、人が「関係の中にいられる場」を育てる場所。当事場性とは、特別な理念ではありません。ただ、「一緒にそこにいること」に価値を見出す視点なのだ。
